上野の国立博物館にて阿修羅展を見てきた。前回は50分待ちだったためあきらめて恐竜展を見てきた(マダガスカル産の化石があったりこちらもよかった。)のだが今回は20分待ちとのこと。実際には10分ぐらいで入れた。ところがどっこい建物の中がとっても混雑していらっしゃる。展覧会の概要説明が入ってすぐのところにあるのだが(距離にして7〜8m)そこまで着くのに5分くらいかかりそうだ。しびれを切らし空いているところから見ることにした。こういうとき日本人の生真面目さに呆れる。展示品の全てがとても希少であったりそれぞれにとって美しいものであるはずがないと思う(奈良時代という色眼鏡さえかけなければ実際?のものはある)のだがなんとなく並んでしまう様は滑稽ですらある。
さて問題の阿修羅像。細身のプロポーション6本の手のバランス。とても奇妙なはずなのだが全体としてと
ても自然な感じの印象。正面で向き合っていると合掌したい衝動に駆られる。脳裏に焼き付けて黙祷していると像がまぶたの裏に浮かび上がり心地よい。
過去に人の顔或いは半身像を制作したことがあるが顔のあの微妙な表情というのはなかなか難しそうだ。
目の下のふくらみ口元などちょっとした細部が全体を決定づけてしまう。能面でも見たことあるが泣いているような怒っているような微妙な表情はとっても難しいと言われる。サイズも素晴らしく人の感覚にスッと入ってくるそういう心地よい一体感。鎌倉時代に下ると四天王も巨大化し権力と結びつき作り手の自尊心みたいのが見え隠れしてくる。こうなるとなかなか像というものを客観視してしまい自分の体の中、心の中には入ってこない。そういう意味では阿修羅像というのは人の心と呼応し鏡になり見るものの心の状態や求めに応じて印象を変え、なおかつ近しい感じを与える。永く愛されるものや大切にされるものには必要な曖昧さも備えた美しい像であった。