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インタビュー&コラム
松田 次泰さん (刀鍛冶)
【インタビュー3】
松田 次泰さん
次泰鍛刀場
日本刀作家
マツダツグヤスさん
高松宮記念賞をはじめ多くのコンクールで受賞。松田刀匠に、日本刀の美術性を中心にわかりやすく語っていただきました。あなたの知らなかった世界がここにあります。

松田次泰さんの仕事が本になりました。
「日本刀・松田次泰の世界 -和鉄が生んだ文化-」
作・画 かつきせつこ
企 画 松田次泰、かつきせつこ
雄山閣出版
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日本刀について、友人に意識調査をしてきました。身分の高い人が刀をパタパタしている様子をテレビで見たことがある。身近でないのでわからない。手にとってみたいけどそのような機会がない。怖いイメージがある。残念ながら、共通して言えるのは、日本刀の美術品としての素晴らしさが、伝わっていないようです。
松田先生は、日本刀の宣伝についてどのようにお考えでしょうか。

以前取材は断っていたんですよ。
作ることに専念したかったという理由もありますし、また自分自身の問題ですが、刀について僕自身が何もわかっていなかったという理由もあります。
30代か40代ぐらいの若い刀鍛冶が、「日本刀のすばらしさは何か」「武士の魂とは刀ですか」と質問されても、正直に言えば、答えようがないのですよ。本当のところは、何も理解できていないわけです。僕は、わからないことをわかったふりして答えることは嫌でした。
取材の方が見えて、何か質問されても、「わかりません」と返答されても、取材にはならないでしょう。だから、これまでは、取材は受けず、むしろ鎌倉時代の古刀の再現に全力を注いでいました。
鎌倉期の刀と言えば、「名刀正宗」という言葉は有名で、素人でもよく耳にします。現代の刀鍛冶は、どのような刀を理想と考えているのでしょうか。
全国に刀鍛冶はいますが、目指している刀は何かをたずねてみてください。どの刀鍛冶に聞いても、多くは「鎌倉時代の刀」という答えが返ってくると思います。
現在、国宝は1073点ありますが(平成19年3月1日現在)、そのうち、およそ10%が日本刀なんですよ。さらに、国宝に指定をうけている刀の8割から9割が鎌倉時代から南北朝時代に作られた刀です。だから、いい刀とはその時代に集中しています。
幕末の刀匠・水心子正秀(すいしんし まさひで)は、「刀剣はすべからく古刀期の鎌倉時代にかえるべし」という復古刀宣言をしました。それから現在にいたるまでおよそ二百年、刀鍛冶の仕事とは、もっとも価値の高い鎌倉時代の刀を再現することを目標にしてきました。
しかしながら、どの刀鍛冶も再現できていません。なぜなら、鎌倉以降、その時代の製造法を知る者はいないからです。
現代の刀鍛冶は、鎌倉時代の製造法を知らないということですが、それではいつの時代の製造法を引き継いでいるのでしょうか。
今の刀鍛冶は、いずれも師匠をたどっていけば、復古刀宣言をした水心子正秀(すいしんしまさひで)にたどりつきます。言い換えれば、全部ではありませんが現代刀作家は、水心子正秀の弟子であり、つまり、現在の刀は、江戸時代後期の製造法を採用しています。
江戸時代、家康は政権の安泰・国の安定をめざし、武器製造に制限をかけました。ただし、武士がいる以上、刀は必要ということで、各藩は少数のおかかえの刀鍛冶だけを雇うことになります。そのため、江戸時代の刀の主な特徴は、戦国時代の大量生産型の工程とはちがって、製作期間にゆとりがある製造法が採用されています。われわれも、その流れの中にいることになります。
鎌倉時代の刀は、今もまだ作り方がわからない、さらに、過去現在にわたって、多くの刀鍛冶が再現を試みながらも完成できなかったとは、大変驚きました。
鎌倉時代の刀は、美術品としての価値という点では、スバ抜けて優れていて、時代がくだるにつれ、だんだんとその美術的価値は落ちていきます。
僕らが作っている刀を現代刀と言いますが、刀の世界では、コレクター・愛刀家も含めて、現代刀はつまらない作品だとまったく相手にしてくれないんです。実際、そのとおりなんですよ。作る側もそれは認めています。
現代の作家には、自分が作る刀が現代刀にしか見えず、そういう作品に嫌悪感を抱く者もいます。なぜなら、もっとも高いレベル、つまり、鎌倉期の名刀と同じレベルで創作したいのに、それができないのですから。
多くの刀鍛冶は、鎌倉期の刀を作りたいが、その作り方を知らないという点で共通しています。僕自身、修行時代、そして独立して以降も、鎌倉時代の刀をどのように再現するかが、最大の目標でもありました。
松田先生は、高松宮記念賞をはじめ、数多くのコンクールで賞をとられています。それは、鎌倉期の刀を基準に評価されているのでしょうか。
一般的にコンクールで賞がとれる刀は、鎌倉期の刀のとは違った製造法のもの、すなわち、今評価されるレベル、現在のコンクールという枠の中で、どれだけ質の高い刀が作れるかという基準で賞が与えられます。美術的価値が高い鎌倉期の刀とは違った次元で、評価されています。
さきほど、刀鍛冶で生計をたてることは可能かという質問がありましたが、鎌倉期の刀を再現したいという思いは、多くの刀鍛冶が抱いています。しかしながら、誰もがその製造法を知りません。本気になって追求すればするほど、完成できる確約はないために、下手をすれば、生活できない危険な状態に陥ってしまいます。
だから、生活することも頭の隅におきながら、コンクールで受賞し、まずは、刀鍛冶として世間に認められる必要もあります。
生活のために、コンクールで賞をとることも必要だったと言うことですね。
生活の基盤を作るという意味もありますが、僕にとって、コンクールでの受賞は、鎌倉期の刀を再現するために必要なプロセスでもありました。
油絵をやめた理由はさきほど話しました。西洋の絵を本気で追求するならば、日本でなく、ヨーロッパに活動の拠点をおくべきです。
僕は絵をやめて、日本刀の世界に飛び込んできました。作家にとって、創作環境は大変重要です。刀剣博物館や国立博物館などがある東京近郊ということにこだわって、見たいときにいつでも見れるという創作環境を整えてきました。
本物を見て、そこから作り方を科学的に想像していく以外に方法はありません。
かつては、国立博物館など、国が運営していましたから、刀は国の所蔵品ということで、手にとって見せてくれたんです。でも、名前の売れていない、中途半端な刀鍛冶には、国宝級の刀はなかなか手に取らせてくれません。コンクールで賞をとれば、刀鍛冶として、一定の信用と地位が確立できます。本物を見せてくれる環境がさらに整うわけです。その意味で、コンクールでの受賞は、鎌倉期の刀を再現するための必要な条件でもありました。

松田先生は、これまで誰もができなかった鎌倉期の古刀の再現に成功されました。いつぐらいの時期から手ごたえを感じられましたか。
平成四年に、ようやく製造法の理屈がわかりました。
平成八年ぐらいから、古い刀に近いものが出来はじめました。ようやく、長年の目標であった鎌倉時代の刀を自分では再現できたように思います。
国宝級の古刀と、実際の自分が作った刀を見比べてみました。鎌倉期のような刃紋、詳しく言いますと、刃紋の中にある沸(にえ ※刃紋にみられる働き)が表現できるようになりました。専門家に見ていただいても、当時の刀と同じような沸に見えると認めていただきました。
これは、歴史的な偉業ですね。大変な評価があったのではないでしょうか。
ところが、僕の刀は現代刀です。古い刀ではありません。そのため、現実は、鎌倉期の刀と同等の評価はいただけません。再現ができていても、現代刀という理由だけで、相手にしてくれないのです。刀に僕の名前がなければ、大変な価値があるのですが。
正直に言えば、僕以外の刀鍛冶が鎌倉期の刀と同等のものを作り上げて、一方自分はまだ完成できていないというケースを想定すれば、大変腹が立つと思いますし、その刀は存在しないものとして無視するかもしれませんね(笑)。
さきほど刀の宣伝についてのお話がでましたが、以前は受けなかった取材に関しても、現在ではできるかぎり協力するようにしています。
今後の重要な活動の一つとして、現代刀を古刀と同様に評価してくれるにはどうすればよいか、その答えを見つけなければなりません。
刀だけ作っていればよいという段階ではなくなりました。僕の刀をどのように納得させるべきか、これから真剣に考える必要があるのです。
鎌倉期の刀が再現できたというのに、現代刀という理由で、評価を受けないということですか。大変苦労された結果がこの評価では、なんともやり場のないお気持ちになるかと思います。
ただ、最近は少し状況に変化もみえてきました。
刀のコレクターの多くは、現代刀はつまらないといって、古い刀にしか興味を示しません。そのような愛刀家が、最近、僕の刀に関心を持ち始めました。そして、買ってくれるようになりました。
一時間ぐらいかけて、僕の刀を鑑賞します。何千万円もするような自分の刀と僕の刀を頭の中で比較しているんですね。そして最後に、「注文していいかな」って言うんです。
重要文化財・重要美術品クラスのいい刀しか見ていない愛刀家が、僕の刀を評価してくれはじめました。それは、僕の刀が鎌倉期の刀と同じような見え方をする証しでもあるんです。そのうえで、今後、いかにして自分の刀の存在を知らしめるか、大変重要な課題だと考えます。
そのような松田先生の創作意欲は、どこからくるのでしょうか。

物をつくる作家とは、最高のものをつくるために、若い時に苦労するんです。そして、評価される、それが、物をつくる者にとっての喜びだと思います。
名を残した芸術家の経歴を調べましたが、彼らが活躍できる期間は、例外もありますが、だいたい10年から、長くて20年ぐらいです。活躍できるという意味は、有名になるという意味ではありません。本物の作品を生み出せる期間ということです。
若い頃に認められる作品もありますが、それは、偶然かもしれないし、本物の作品でないかもしれません。
どのような下積みをしたかが、作品にはあらわれてきます。もちろん、様々なジャンルによって、例外もありますが、よい作品とは一般的に50歳を越えてから、生まれてくると僕は思います。
そのときのために、厳しい下積み時代をおくり、どれだけ作品を探求し続けることができたか。そうした厳しい準備期間が、創作物に必ず出てきます。
本物を作るためには、若いときに苦労しなければならない、言葉で言うのは簡単ですが、実際にやりとげることができる人がどれほどいるか、大変重たい言葉です。
若い時期に実力もないのに、一時的な名声を得られたとしても、その人間は必ず行き詰ります。そして、その後、どうしようもなくなり、自らの人生に幕をおろす、そういう人々がどれだけ多いことでしょうか。
年齢を重ねたときに、濃密な準備期間を経験した人間であればあるほど、その分だけ、人生の本質が見えてきます。そして、それは作品に生かされます。
見る者が見れば、その作品にこめられた完成度はすぐにわかります。だから、若いときから、一つの作品を完成させるために、一所懸命に勉強し、取り組まなければならないのです。
松田先生の鎌倉時代の作刀は、これからも続くのでしょうか。
今、鎌倉初期、平安期の刀を作っています。そして、鎌倉期の刀に見える刃紋ができるようになりました。しかし、結果的には、その時代の人と同じものを作ったにすぎません。
そこには、自分のオリジナリティーはありません。今後は、自分のオリジナリティを追求したいと考えています。
正宗の刀のすごさは、オリジナリティーです。彼の時代には、彼以外にも、多くの優秀な刀鍛冶がいました。でも、なぜ彼がこれほど有名なのかといえば、彼が作った刀すべては、正宗の刀だとわかるからです。彼は、その時代の制約の中で、自分のオリジナリティーを確立できたのです。
通常、オリジナリティーとは、人とは違ったことをやると解釈されていますが、私は違うと思うんです。人と同じことをやる中で、明確な自分自身の特徴を示す、すなわち、同じ制約の中で、人との違いを出し、かつ自分の特徴を表現すること、それがオリジナリティーだと考えます。これは、大変難しい作業です。
今、私が鎌倉期の刀を再現している活動、それは、僕の独自性を出すために必要な知識であり、技術的な準備段階なのです。将来的には、松田が作った刀であることが誰にでもわかるような刀を作りたいと考えています。
